「正露丸」
先週、ラッパのマークの「正露丸」が ひょうたんマークの「正露丸」を不正競争防止法で訴えたらしい。
両者ともに、黄色の箱で、縦書きで「正露丸」、その文字の上に、マークが着いている。
「正露丸」は一般名称になっているから誰が使っても文句は言われない。
黄色の箱自体は顕著性がないから争そえないでしょう。たぶん。他社品は皆黄色の箱だから、
となると、マークの類似性が主な争点になるんだろうか?
「正露丸」という名前の整腸剤は、多数あるみたいで、マークがそれぞれ違う。
・テレビでおなじみの『らっぱ』マーク
・菱形の中に明の一字のマーク
・鳩を図案化したようなマーク
・白鳩が羽ばたいているマーク
・白熊のマーク
・王冠マーク
・船の錨マーク
・小槌のマーク
・鼓のマーク
・孔雀のマーク
・ハートのマーク
・△マーク
・逆△マーク
・十字のマーク
・Kマーク
などなど、切りが無い。詳しくは、http://www.edo.net/machida/kateiyaku/seirogan2.htmlへ
ちなみに昭和35(行ナ)32 の商標権「正露丸」の登録無効審決取消訴訟の判決には、次のような記載があった。
(「征露丸」名称の起源)
明治三七、八年の日露戦争以前、当時の陸軍軍医学校において、戦場で発生する腸性の伝染疾患、とくに腸チブス、赤痢等の予防薬として、クレオソート製薬剤の創製の研究が行なわれ、同戦争の勃発に伴い、軍の方針により、これを丸薬として出征中の全将兵に右疾患予防のため連日服用させることとし、明治三七年三月中ごろから陸軍衛生材料厰で製剤して配布されたのが、この種丸薬製造の始まりである。そして、軍当局は、この丸薬が特殊な薬臭のため服用され難いことを考慮して、服用を奨励するため、これに戦争名にちなみ「征露丸」と命名したのが、その名称の起源である。(「征露丸」名称の普及)
同戦争後、帰還将兵により、戦陣薬「征露丸」の名称と、その薬効の顕著であることが喧伝され、かつ、右薬剤の製造販売と名称の使用が民間の製薬業者一般に開放された結果、右名称を踏襲使用して同薬剤の製造販売をする業者が、明治、大正の時代を通じ数十名に達し、どの業者の製品も「征露丸」の名称で販売されていた。(「征露丸」商標の登録無効の審決、「正露丸」および「何々正露丸」の名称の出現)
鳥栖製剤合資会社は、いち早く明治三八年九月に指定商品丸薬につき「征露丸」の文字からなる商標の登録を得た(登録第二四、二〇八号)ところ、同業者の【A】は、大正一一年ごろ同商標権の持分を譲り受けて共有者となるや、「征露丸」商標使用の他の業者に対し商標権侵害を理由に禁圧手段に出たが、大正一三年八月同業者である日本製薬株式会社ほか二名より、同商標につき登録無効の審判が請求された結果、大正一五年六月二八日大審院において、同商標は日露間の平和回復後は、その語意にてらし国際間の通義に反し秩序を紊るものであるとの理由で、これを無効とした抗告審判の審決が是認され、同商標権は遡つて効力を失つた。
その後、業者の中には、右判決の趣旨を汲んで「征露丸」の名称の使用をやめ「戦友丸」「平和記念丸」などの別名に変えたものもあつたが、その場合でも、包装外箱等に「旧名称征露丸」、「通称征露丸」などの表示を添え、従来の征露丸と同一のものであることを明らかにするのが通例であり、また、監督官庁の行政指導により、「セイロ」「セイロ丸」等の仮名文字に変えたり、「征」の字を、これと呼称をおなじくし外観も近似する「正」の字で置きかえ「正露丸」の名称を用いるものが圧倒的に増加するにいたつた。これに伴い、業者の中には、自己の商品を特徴づけるため、「何々正露丸」のごとく「正露丸」「正露」または「セイロ」の文字の上に、業者名その他の固有名詞からなる文字、または文字と図形の結合からなる社標など、固有の標識を付記あるいは結合させ、取引面においても、この固有標識または業者の名称あるいは包装外箱の着色等によつて、他の業者の同種商品と区別し取引されてきたのである。・・(略)やがて昭和一八年第二次世界大戦による企業の合同が実施せられるに及んで、群小の本件医薬品業者は、原料の不足とあいまつて、比較的少数の企業体に統合されて存続することになつた。
(第二次世界大戦後の「正露丸」等の業者の乱立)
第二次大戦中の軍隊においても、本件医薬品は戦陣薬として用いられ、「せいろがん」と呼ばれて将兵の間になじみ深いものであつたが、戦後の昭和二二年ごろから、統制の解除に伴い、戦前同様に大阪、奈良、滋賀、富山、香川、岡山、愛知、三重、東京の各都府県に、「正露丸」「征露丸」「せいろ丸」「セイロ丸」またはこれらの文字に業者名その他の標識を付記した「何々正露丸」の名称を用いた本件医薬品の製造販売業者が続出し、その数は五〇を下らず、これらの業者の中には全国的に行商ないし配置販売を行なうものもあり、昭和二四年から昭和二九年ごろを頂点として「せいろがん」と呼ばれる本件医薬品は、家庭薬として全国に浸透した。そして、需要者が「せいろがん」と呼んでこれを購入しようとする場合、売薬業者は、いくつかの業者の製造販売にかかる本件医薬品のうち、任意のものを客に売り渡すのを通常とし、特定の業者の商品を売買しようとするときは、とくに「何々せいろがん」と呼び、または包装外箱の着色などの特徴を示さなければ、その特定が不可能の状態であつた。そのころ、所管の厚生省薬務局は、業者からの「征露丸」の製造許可申請に対し、その方名を「正露丸」に改めるよう行政指導をしたので、「征」の字を用いる業者はしだいに減少し、一般の需要者も、日露戦争以来用いられた「征露丸」の名が、第二次大戦後の平和回復とともに、「征」の字の使用が望ましくないために「正」の字に置き換えられ、または仮名書きとされたものであることや、表示する文字は変わつても本件医薬品の実体に変わりはないことをよく認識していたのであつて、その意味で「正露丸」「せいろ丸」「セイロ丸」の語は、「征露丸」と同一物を指す語として一般に認識されるに到った。
